白馬山案内人組合を訪ねて~ ガイドを通じて、山を知る ~

いい山が、いいガイドを育てる。
その点、白馬は国内でも絶好の環境だ

降籏義道
Yoshimichi Furuhata

降籏義道さんは、日本の山岳ガイドを統括する日本山岳ガイド協会副会長であり、地元白馬山案内組合の前組合長。生まれ育った白馬村を拠点に、長年にわたって日本のガイド組織づくりを手がけ、その発展に貢献してきた人物だ。
もちろん、自身もまた南米やヒマラヤに遠征を重ねた登山家であり、スキーヤーとしては全日本デモンストレーターに認定されたほどの名手。山とスキー、その両面での高いスキルを発揮して、北アルプスの急峻な地形に数多くのシュプールを描いてきた山岳スキーのレジェンドでもある。
降籏さんは現在、白馬岩岳スキー場近くで実家の旅館業を営んでいる。組合長として白馬山案内人組合を12年間支え、組合長を退いた今も、ガイド協会や山案内組合のためのさまざまな活動に従事。70代と思えないほど精力的に活動されている。
そんな降籏さんに話を聞いた。

写真)白馬連峰開山祭に参加した降籏さん。山はまだまだ現役そのもの。
鮮やかな若草色のMILLETのジャケットが、白馬山案内組合所属ガイドの目印

地元ガイドと山を歩けば山をより深く楽しめるようになる

左下・右)1980年、日本山岳会チョモランマ遠征隊に参加。その遠征隊メンバーを紹介する誌面を手にする降籏さん。上)山岳スキーヤーの第一人者として活躍した70年代後半から。山岳雑誌のカバーを多く飾っている

白馬の山に精通した登山ガイドの集団

ーー白馬山案内人組合は、白馬を拠点とする登山ガイドの組織と考えてよろしいですね? 「そうです。創設は大正8年ですから100年の歴史がある山案人組合です。当時は今ほど登山に関する情報がなかった時代でして、たいてい、地元の山に精通した麓の人間が山を案内していたんですね。また余談ですが、遠方から来る方は登山の往き帰りに麓に泊まる必要があり、山案内人が自分の家に泊めた。それが民宿や旅館となって発展してきたんです。現在、北アルプス周辺には白馬のほかにも小谷、大町、有明、松本、乗鞍など、それぞれの山域ごとに8つの山案内組合がありますが、いずれも白馬と同じように地元の人間が地元の山を案内してきた長い歴史があります」 ーー組合に入るガイドにはどんな条件がありますか? 「まずは、『信州登山案内人』に登録される必要があります。これは県条例に基づいたもので、長野県でガイドとして営業をするために必要な資格になります。試験は登山ガイドに必要な知識や技術はもちろん、長野県の山々の歴史や文化についての知識を含めた筆記と実技の試験があり、それに合格した後にはじめて、各山案内人組合に所属することになります。
白馬山案内人組合の場合、白馬村に住んでいるか、あるいは活動拠点が村内にあること。たとえば、住まいは大町市だけど、勤め先が白馬村の企業という人も所属できるようになっています」 ーー白馬山案内人組合には、現在何名くらいのガイドが所属していますか? 「およそ100名余になります。北アルプス一帯はもちろんのこと、日本中をみまわしても、これほどの規模の地元のガイド組合はほかに例がありません。とはいえ、その全員が常時ガイドとして山に入っているというわけでもなく、私のような高齢になった人間も多くいますしね。おそらく活動の中心になっているのは60人くらいでしょうか。年齢的には40から50代が中心です。ガイドというのは、やはりある程度の経験が必要とされる仕事ですから、試験に合格しただけですぐ仕事を始められるわけでもありません。20代では体力はあっても、自分でお客さんを開拓していくまでにはまだ至らない。いいお客さんを増やしていくには、その方たちと何年間もいいお付き合いを続ける必要があるわけでして、それは1年や2年ではなかなか難しい。人と人との信頼関係が、特に重要だと思います」 ーーなるほど。 「最初はいいガイドにアシスタントとして付いて勉強して、多くのお客さんと接する中から、今度は自分のお客さんになってくれる人と出会い、そうして客層を広げていく。もちろん、今はインターネットを通じて簡単に告知できる時代ですが、やはり、いいガイドとして評判を得るには口コミの力が大きい。それが昔からのガイドのシステムであり、今も基本的には変わらないのだと思います」

白馬岳を背景に、白馬尻付近を歩く。これも白馬連峰開山祭のワンシーン

地元ガイドと山を歩くそのメリットとは

ーーガイドにとって、白馬山案内人組合に所属する意味はどんなところにあるのでしょうか? 「ガイドの立場からすると、まずは山のリアルタイムの情報に接しやすいことです。たとえば、悪天候が続いた後の登山道の状況や、初夏の時期はルート上での雪渓の残り具合、あるいは、高山植物の開花状況にしても、ここ数日間の間に登った地元のガイド仲間に電話して聞けばすぐわかります。 また、夏山シーズンになれば、山に入ったガイドがその時の状況をメールで発信するシステムをとっています。それをガイド組合の事務局がキャッチして、所属ガイドに転送して共有している。その点で山の的確な情報を得ることができますし、また、山の最新状況を把握できるからこそ、より安全で楽しいルートへと、自信を持ってお客さんを案内できます」 ーー逆に、お客さんからみて、地元ガイドに依頼するメリットはどこにありますか? 日本中には優れたガイドが大勢います。白馬のように、山の麓に住んでガイドする人もいれば、あるいは、都市部に事務所を構えて、全国の山にお客さんを案内するガイドもいる。日本山岳ガイド協会に所属しているガイドなら、基本的には日本中のどんな山でも同じクオリティでガイドできることが資格の条件ですし、さらに国際山岳ガイドになれば、世界のどの山でも、となります。 ですから、きちんとした資格を持ったガイドならどんな山でも問題ないはずですし、また、いつも馴染みのガイドと山に行ってる方も多いと思います。 その中で、地元のガイドに依頼するメリットとしては、まずひとつは先に申し上げたようなリアルタイムの情報に接していることがあります。 次に、意外と知られていないことだと思いますが、お客さん自身の費用負担面でのメリットも少なくない。というのも、ガイドを依頼する場合は、通常、ガイド料金にプラスしてガイドの交通費などの経費も負担します。その点、白馬山案内人組合に所属するガイドなら、村内の路線バスや、八方尾根や栂池のゴンドラも無料です。また山小屋の宿泊料も割引料金になります。だから、それだけでも、お客さんの負担がだいぶ楽になるわけですね。ここまで条件が整っているガイド組織もあまりないと思います。多くのガイドは山小屋とも懇意にしていますから、なにかと融通も利きます。地元の組織ではそうした利点があります」 ーーでは、それ以前の話として、白馬の山をガイドと一緒に登るメリットとはなんでしょうか?
たとえば、夏山なら登山道も整備され道標もしっかりしている。地図と情報も豊富だからガイドはいらないのではないか、という点。
「第一は、もちろん、安全に山を楽しめる点です。よく晴れていれば問題なく歩けても、ガスに包まれたり、天候が悪化したときに、正しい判断で行動できるかどうか。また初めてのルートを登る際の不安も大きいですよね。
一番の利点は、自分で持っている山の知識以上に、今まで気がつかなかったさまざまなことが得られる点です。山を歩きながらの会話を通して、ガイドはさまざまな山の知識をお客さんに伝えます。たとえば花の名前にしても、ただ名前を知っているだけでなく、どこにどんな花がどう咲いているとか、たとえば、大雪渓の歩き方や、いろいろな地形変化についても教えてもらえます。そうすることで、お客さんは山を一面から見るのではなく、さまざまな角度から白馬の山を理解することになります。登山をより深く楽しめるというわけですね」 ーー白馬山案内人組合のガイドに仕事を依頼するには、どうしたらいいですか? 「個人で白馬のガイドを依頼する方は、知人やご友人からの紹介だったり、あるいは、ホームページを見て直接ガイドに連絡される場合がほとんどです。昔は、白馬駅前にガイドの詰め所があって、そこに申し込んでという形があったようです。でも、今は前もってガイドに連絡されるのが一般的ですね。それでも、わからないことがあれば、案内人組合にご連絡いただきご相談ください」

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ガイドするのはもちろん白馬山案内組合だ

山とスキーに明け暮れた降籏さんの若き日々

ーー降籏さんご自身はどんなきっかけでガイドになったのですか? 「私の祖父が白馬山案内人組合の走りの一人だったんです。そんな関係で、子どもの頃から家には山の関係者が多く出入りしていました。小さな頃からよく近くの山に連れて行かれましたし、春になれば山スキーにも自然と親しんでいました。そんな環境に生まれ育ったことが大きいです」 ーー降籏さんの時代は、白馬では登山よりもスキーが盛んな時代ですよね。それでも降籏さんは本格的な登山に傾倒していったのはなぜですか? 「これも偶然なんですが、たまたま進んだ高校にスキー部がなく、山岳部に入ればスキー活動できるよと、うまくだまされたように始まりましてね(笑)。家には昔から山道具がごろごろしていましたから、登山靴だけ買えば山登りができる状況にあった。で、いざ山に入って、穂高の合宿に参加してみて、白馬とは違った山の凄みを知ったんです。岩登りや冬山を含めた本格的な登山にのめり込んでいったのはそれからです」 ーーでは、たまたま進んだ高校にスキー部があれば、また違った人生になっていた? 「たぶん、そうでしょうね。高校から大学までスキー選手として活動して、登山にはまったく縁がなかったと思いますね」 ーー白馬には元スキー選手は多くても、優秀な登山家が少ないのもそのあたりに理由がありますか? 「そうですね。地元には白馬登高会という山岳会がありまして、私より上には強いメンバーが多かったんです。それが次第に廃れて来ちゃいましたね。お爺さんや父さんが山のガイドをしていても、その息子はスキーの方に行っちゃうんですよね。こういう環境で育つから、みなスキーは人並み以上に上手いわけです。そうして子どもの頃から競技スキーに取り組んで、高校大学もスキー部。で、卒業して家に戻ってくれば、冬はコーチやスキー学校でスキーに携わりながら、民宿や旅館といった家の商売を続ける。だからスキーヤーばかりで、山をやる連中が育たなかったんですね」 ーー降籏さんご自身はどうだったんですか? 「高校3年になると、いくつかの大学からスキー、あるいは登山で推薦入学の誘いはありました。ただ、私はそれを断わり、受験に失敗して、地元に戻ったんですよ。浪人して大学を目指すよりは、家の仕事をしながら山に通ったほうが有意義だと考えたものですから。それで、冬は地元白馬岩岳のスキースクールで働き、夏は稼業を手伝いながら山に登りました。冬はスキーで100日、山には150日登っていた。365日のうち250日は山とスキーに明け暮れることができたんです。そうした中で、多くの海外遠征も経験しました。また、24歳でスキーのデモンストレーターになり、20代後半から40代前半までは毎年のようにお客さんを連れてヨーロッパに出かけ、オートルートをガイドしていました。その間、地元では山案内人組合に所属してガイドや遭難救助に携わるようになる。そうした中で、優秀な登山家とも多く友人になりました。その中にプロのアルパインガイドとして仕事を始めていた長谷川恒男さんがいたんです。
で、あるとき、ウチに泊まってひと晩ゆっくり呑んだ席で、日本のガイド組織を一本化しようという話になったんです。長谷川さんはプロガイドをまとめ、私は地方のガイド組織をまとめようと。それが現在の日本山岳ガイド協会につながっていったんです」 ーーなるほど。さて、降籏さんは日本山岳ガイド協会の育ての親のひとりであり、現在も副会長としてご活躍です。同時に、地元の白馬山案内人組合の役員である。この2つのガイド組織はどう連携しているのですか?

降籏義道ふるはたよしみち 1947年、白馬村生まれ。海外遠征歴豊富な登山家であり、山とスキーの接点を求めた山岳スキーヤーの第一人者。日本山岳ガイド協会副会長、白馬山案内組合監事、国際山岳ガイド

「本来であれば、白馬の組合が日本山岳ガイド協会と直結しているのが理想で、私もそこを目指してきたんです。ですが、白馬の組合は歴史が古く大所帯なこともあって、なかなか簡単に事は運びません。現在は、日本山岳ガイド協会の登山ガイドステージI資格への移行システムも整い、白馬でも日本山岳ガイド協会の資格を取得してステップアップしていこうというガイドも半数以上になりました。山岳ガイドとしてより幅広く、より高いレベルを目指そうという彼らの動きの中から、国際山岳ガイドも育っていますしね。ガイドを職業に選ぶからには、やはり常に努力を続けて、より高いレベルを目指してほしいと思います」 ーー白馬の山岳フィールドに憧れた結果、移り住んでガイドになる人も多いように思えます。 「おっしゃる通りです。今は、白馬が好きで移り住んできたガイドの方が実は多いんです。山小屋や飲食店でアルバイトしたり、スキー関係の会社で働いたりと、白馬で生活基盤を作りながらガイドを目指して頑張っている。彼らは白馬で生まれ育った人間よりも、ある意味、客観的に白馬の山が持つポテンシャルに気がついているのかもしれませんね。それは素晴らしいことだと思います」 ーーいい山が、いいガイドを育てる。その点、白馬は国内でも絶好の環境といえますね。 「その通りです。日本のガイド組織のお手本にしたいと考えたシャモニーやツェルマットのガイド組織に私が憧れた理由もそこにある。逆にいえば、白馬にもそうした素晴らしい環境があるということです。その中で育った人間はしっかり伸びていってほしいし、それを次の世代に受け継いでいってほしい。それが私の一番の夢ですし、大いに期待している点です」

降籏義道ふるはたよしみち 1947年、白馬村生まれ。海外遠征歴豊富な登山家であり、山とスキーの接点を求めた山岳スキーヤーの第一人者。日本山岳ガイド協会副会長、白馬山案内組合監事、国際山岳ガイド

  • Text:Chikara Terakura
  • Photo:Hiroya Nakata, Miho Furuse
  • ※(株)双葉社発刊、雑誌「soto」より転載

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