白馬山案内人組合を訪ねて~ ガイドを通じて、山を知る ~

幅広い山の楽しみ方を
皆さんに知ってもらえたら。

羽山 菜穂子
Naoko Hayama

白馬で登山ガイドやクライミングインストラクターとして活動を続ける羽山菜穂子さん。千葉県出身の羽山さんは20数年前に白馬に移り住んでからはモーグル選手として全日本選手権で入賞を果たし、アドベンチャーレースでは世界大会に参戦。まだバックカントリースキーという呼び名すら一般的でなかった時代からスキーで白馬の山を滑り、夏季はフリークライミングに傾倒してきた。さらに高所登山ではヒマラヤ・チョーオユー(8201m)や、世界最高峰エベレストにも登頂している。
現在、約100人のガイドが所属する白馬山案内人組合の中でも、羽山さんほど豊富な経験を重ねたガイドもそう多くはない。

そこで新雪を滑る楽しさを知ってしまったのです。

身長150㎝にも満たない小さな体で、世界の大きな山に登ってきた羽山さん。人は見かけによらないのだ

モーグルが白馬移住のきっかけだった

ーー白馬に移り住もうと思ったのはなぜですか? 「きっかけはスキーです。当時はモーグルに熱中していて、大学卒業後に勤めた会社を4年で辞めて、白馬に来ました。ちょうどその頃、夏のトレーニング施設として白馬さのさかスキー場にウォータージャンプが開設され、それでモーグル選手仲間たちが一斉に移り住むようになりました。そのタイミングと一緒です」 ーーモーグルをやるために会社を辞めたと? 「そうですね。わりと早い段階から大会に出場していたんですが、最初は会社に勤めながら週末は選手として大会を回って、そのうち、会社には休養しに行くだけのようになってしまい、それで思い切って会社を辞めました」 ーー選手としては全日本選手権を含む公認大会で、何度も入賞。 「いちおう、入賞してましたね。全日本選手権にも3、4シーズンは出ていたと思います。でも、北海道の選手が出場する大会ではだめでしたね。里谷多英さんを始め強い選手が大勢いましたから。北海道勢が来るよって聞くと、ああ、今回はだめかって(笑)」 ーーモーグル選手を辞めたのは? 「その頃はモーグルコース脇に積もった雪を練習前に滑るようになっていて、新雪を滑る楽しさを知ってしまったのです。なんて楽しいんだろうって。白馬でも山を滑る人が出始めていて、次第に一緒に連れて行ってもらうようになったある日のこと、新雪を滑りに行った山の中で、木にぶつかって肋骨を骨折してしまったんです。それをきっかけに、もう大会はいいかなと。気持ちは完全にシフトしていましたからね。長野オリンピックの前の年でした」 ーーまだバックカントリーガイドサービスがなかった時代ですね。 「スキー場から山に入ろうとすると怒られたりしてましたね。ちょうどその頃に開店した登山用具店『ラッピー』に誘われて仕事するようになってから、ますます山に入るようになりました。当時のラッピーは山スキーのガイドツアーを行なっていて、私もテールガイド的なお手伝いをするように。私がガイドの資格を取って白馬山案内人組合に入れていただいたのは、それがきっかけです

アドベンチャーレースで世界大会に出場

ーーアドベンチャーレースにはどんなきっかけで? 「モーグル仲間の影響で、夏場のトレーニングの一環としてマウンテンバイクを始めたんです。で、あるとき岩岳の100㎞耐久レースに出てみたら、たまたま優勝できたんです。それでアドベンチャーレースのチームから声が掛かったというわけです」 ーーもともと体力があったタイプですか? 「昔から運動することが好きでしたし、自転車も夏場のトレーニングとして始めたことだったので、その頃、体力はそれなりにあったと思います。ただ、私が誘われたチームイーストウインドは、アドベンチャーレースでは日本の第一人者でもある田中正人さんがリーダーで、当時、世界の大きな大会に参戦していた日本で唯一のチームでした。年に1度の大きな海外のレースに照準を合わせて、チームでトレーニングを重ねるアスリート集団だったので、練習はキツかったですね」 ーー何シーズンくらいレースに参戦していたのですか? 「トータルで5年くらいです。最初はチームイーストウインド、途中からは、その後にできた世界を目指すもうひとつのチームに移りました。10日間以上にわたって走る海外の大きなレースは、ニュージーランド、オーストラリア、インド・ネパール。ほかに2泊3日くらいのヨーロッパのレースにも出てます。その間に日本でも2日間や3日間というレースが増えていき、選手で出たり、大会を手伝ったりもしました

初心者講習向けの岩場でトップロープをセットする羽山さん。白馬には自然の岩場が少ないのがやや難点。それでも白馬を離れるつもりはない

そのとき、一番やりたいのがクライミングだった。

ーーアドベンチャーレースに区切りをつけたのはなぜですか? 「アドベンチャーレースはさまざまなアウトドアアクティビティをこなしながら長距離を走り抜く競技なのですが、そのなかのひとつにクライミングがあって、次第にそれが楽しくなっていったのです。また、チームレースなのでみんなに合わせなきゃいけなかったこともあったし、なにかひとつのことに集中したほうがいいのかなと。そのとき、一番やりたかったのがクライミングだったのです」

残雪が山肌のコントラストを深め、麓は鮮やかな緑に覆われる。白馬は1年で最も美しい時期を迎えていた

ーー今度はすっかりクライミングにハマってしまったと? 「そういうわけです(笑)」

今度はクライミングに没頭する毎日が始まる

ーークライミングを始めた以降も、スキーは続けていましたか? 「アドベンチャーレース時代も冬場はずっと白馬の山を滑り続けていたのですが、本格的にクライミングを始めてからは、滑りに行かないシーズンもありましたね。平日は長野市にあるクライミングジムに通い、そこでアルバイトもさせてもらっていました。白馬から1時間くらいで通えるので苦にならないし、空き時間にはけっこう登らせてもらえましたしね。で、週末になると小川山や愛知の岩場に通って、仲間と合流してクライミング。夜中にひとりで白馬を発って明け方に着き、車で仮眠してって感じでした」 ーー最高グレードはどのくらい? 「5・13を登っていました。長野県代表として国体に出たこともあります。山を走れて、クライミングもできるからどう? と誘われたのです。まだクライミング競技が完全に分かれる前の時代です。ただ、モーグルでどっぷりとやってきたから、もう選手はイヤだなと。外のフィールドで遊んでいるほうが楽しかったですしね」

出発10日前に決めたエベレスト遠征

残雪が山肌のコントラストを深め、麓は鮮やかな緑に覆われる。白馬は1年で最も美しい時期を迎えていた

ーーさて次はエベレストの話を聞かせてください。 「クライミングで仲良くなった中に高所ガイドの倉岡裕之さんがいました。私にそれなりに体力があることも、時間が自由なことも彼は知っていたので、あるとき遠征隊のお手伝いに呼んでくれたんです。キルギスにある7000m峰です。高所登山はまったく未知だったんですが、とりあえずなんでもやってみたいという姿勢だったので、行く行く! って(笑)」 ーーなるほどね(笑)。 「その後もアコンカグアや中国の遠征も同行しました。それからしばらく間があいて、3年前の秋にチョーオユー遠征でまた声をかけてくれたんです。で、登頂して12月に帰国してから、いつものようにスキーをして、春を迎えたときに電話が掛かってきたんです。急にキャンセルが出てしまったんだが、手配もすべて済んでいる。その分、もったいないからエベレスト行かない? 安くしておくからって。出発の10日前でした」 ーーそんなタイミングで声をかけられるのは、時間的にも、体力的にも、メンタル的にも、羽山さん くらいだったのでしょうね。 「さすがに迷いましたけどね。でも、これを逃したら一生行けないと思ったので、次の日には返事をしていました」 ーー登頂の瞬間はどうでした? 「エベレストはまさに話に聞いていた通りで、目一杯な感じでしたよ。登頂日は最終キャンプを夜中の12時に出るんですが、私は体が小さいから酸素効率がほかの人よりも良いらしく、けっこう早いペースで登れちゃったんです。このままだと夜明け前に着いちゃうからゆっくり歩けと指示されたのですが、結局、4時半くらいに登頂していました。真暗な中を30分くらい粘ったのですが、さすがに待っていられなくて下山です。その日のうちにABCまで一気に降りて、翌日はベースキャンプ。なんだか不思議な気分でしたね」

上)2017年5月27日、8848mのエベレスト山頂にて。予報に反して雪の舞う山頂だったが登れてなにより。下)ノースコルのC1、7020m付近まで下る。下山時はさらに天候が悪化していった

白馬の里山の魅力を伝えていきたい

ーーそれほどクライミング好きなら、もっと岩場に近いエリアに引っ越す手もあったのでは? 「それは考えましたね。でも、やっぱり白馬が好きなんですね。長い遠征に出ても、帰ってくればホッとできる家がある。もう20年以上住んでいますから、山にも土地にも愛着があります」 ーー白馬山案内人組合に所属して良かったことはなんですか? 「これから先は、里山やスノーシューといったネイチャー的なガイドに力を入れていきたいと思っているんです。だからもっと地元に詳しくなりたいし、勉強を重ねたい。そうした意味で、白馬山案内人組合の皆さんには今後ともお世話になりますし、楽しいメンバーが揃っていますしね」 ーー世界各地であれほどハードな経験を重ねてきた羽山さんが、今は里山の魅力を伝えたいというのもおもしろい話ですね。 「いえいえ、私は昔からのんびり里山を歩くことも好きだったんです。どちらかといえばピークを目指すより自然の中で遊ぶこと、それ自体が好き。そんな幅広い山の楽しみ方をもっと皆さんに知ってもらえたら、と思っています」

かつてインド放浪中に出合ったというヨガとの付き合いも長い。自らの欲求と素直に向き合い、柔軟な態度で山と接してきた。そんな自由な精神こそ羽山さんの魅力だ幅

羽山菜穂子はやまなおこ 千葉県出身、白馬在住歴24年。白馬山案内人組合員。JMGA認定山岳ガイドステージII、スキーガイド、日本山岳・スポーツクライミング協会認定スポーツクライミング指導者

横山秀和よこやまひでかず 1978年、白馬村生まれ。現在、冬は白馬八方尾根スキースクールでスキー教師、夏は白馬の山で登山ガイドを続けている。JMGA認定登山ガイドステージⅡ、スキーガイドステージⅠ、白馬山案内人組合所属

  • Text:Chikara Terakura
  • Photo:Hiroya Nakata
  • ※(株)双葉社発刊、雑誌「soto」より転載

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